Skip to content

THE ULTIMATE FANZINE

Normally, we are the ones behind the camera, so it’s kind of strange to have those roles reversed, as happened recently when ‘Germany’s best-kept fashion secret’ Frank Leder – not so secret if you have been following mono.kultur from the early days – returned the favour and proposed a meeting with us for Mercedes-Benz’ culture blog The Avant/Garde Diaries. So for a cute little glimpse into the studio and workings of mono.kultur, go here.

ARCHIZINO MILANO

The idea of a traveling magazine library might not be new, but there are few who pursue this with such vigour as Elias Redstone with his Archizines collection, gathering a rather excellent selection of printed matter on architecture. Previously on display at the Architectural Association and now in the permanent collection at the library of the Victoria & Albert Museum in London, Archizines are kicking off their world tour tonight in Milan at the SpazioFMGperl’Architettura.

Archizines in  Milan
27 January – 23 February 2012

SpazioFMG
Via Bergognone 27
Milan

UNDERSTANDING DIFFICULTIES

Don’t miss genius comedian/musician Reggie Watts on his first ever Berlin gig this Sunday at Festsaal Kreuzberg.

INTRODUCING MR WARE

Since it’s all about Japan these days at the office, we thought we should share the introduction to our current issue with our friends on the island – since we’ve been including a Japanese insert with our issues sold in Japan through Utrecht for quite some time now. We don’t know how to say it in Japanese, so we’ll say it in English: Enjoy.

–––

CHRIS WARE: A SENSE OF THERENESS
“The one thing I don’t want to be is a storyteller.”

彼の言うことに耳を傾けるな。

はじめに言っておくと、私はそれまでマンガにあまり関心がなかった。タンタン・シリーズやディズニーとは別に、新聞の裏面に掲載されている低級な(と私が思う)笑いに対して距離を置いていたのだ。私の知るマンガの世界とは、シンプソンズに登場するコミック・ショップ「アンドロイドズ・ダンジョン&ベースボール・カード・ショップ」のような場所に拡がっている。そこでは少年たちがセロファン・カバーに包まれた神聖なるヒーロー・ファンタジーにむしゃぶりつき、思春期特有の不安やいらだちを昇華している。私はその世界にこれまで足を踏み入れたことがなかった。

だから2000年の終わり頃に、近所のとあるコミック・ショップの前をいつものように通り過ぎようとした時、歩を緩めるつもりもなかったし、ましてや中に入ろうとは考えもしなかった。だけどその日は違った。色とりどりの表紙が並ぶショー・ウィンドウの中央に、ひときわ異彩を放つひとつの表紙が目にとまったのだ。380ページ、横長で厚さ2インチのその本は、見た目だけでも圧倒的な存在感を示していた。私は値段も確認せず、『Jimmy Corrigan– The Smartest Kid on Earth (ジミー・コリガン – ザ・スマーテスト・キッド・オン・アース)』を購入した。

自分が何を買ったのか、正確に理解するためにはしばらく時間が必要だった。そしてその本とアート・スピーゲルマンの『Maus(マウス)』との関連性に、その時は気づくことがなかった。『マウス』とは、スピーゲルマンが自身の父との関係やホロコーストを経験した家族の歴史を紐といていく作品で、子どもの頃に手にしたことがあったのだが、マンガとして認識したことがなかった。そして私は、「グラフィックノベル」(1964年にリチャード・カイルが生み出した用語)と呼ばれるものの存在を知らなかった。ただ、クリス・ウェアの作品を初めて手にした時に誰しもが感じるように、私は一瞬にしてそのクリエイティブ性に強い衝撃を受けた。

きめ細かく丁寧に作りまれたアートワーク上で展開するクリス・ウェアの物語には、たまらなく美しい欠損と欠落の世界が描かれている。近年、大量生産されたかのようなヒーロー・コミックが平然と、大ヒットを狙い画一的に3Dアニメ化される中、クリス・ウェアはビジュアル・ライティングに物語の可能性を見出そうとしている。アクション・コミックが派手な色を用い、単純化された世界で構成されているのに対し、クリスは静かで内向的なヴィジョンを、ノスタルジーを感じさせる控えめな色調で描き、現代社会における孤独、心の痛み、敗北感を主題に据えている。彼のマンガは、寂しい子ども、孤独な負け犬、挫折したヒーローの物語だ。明らかに、楽しい話ではない。

しかし、勘違いしないでほしいのは、それでも彼の作品には強い魅力と中毒性があるということだ。『Quimby the Mouse(クインビー・ザ・マウス)』、『Rusty Brown(ラスティ・ブラウン)』、『Building Stories(ビルディング・ストーリーズ)』、『Lint(リント)』、そして伝説的な『ジミー・コリガン』。いくつかのタイトルを挙げるだけでも、クリス・ウェアがいかに素晴らしい作品を生み出しているかがわかる。当然のことながら、彼の作品はマンガと文学両方の評論家たちから高い評価を獲得している。数々のハーヴェイ賞やアイズナー賞に加え、2001年にはガーディアン小説賞をグラフィックノベル作家として初めて受賞。2002年には、マンガ家として初めてホイットニー・バイエニアルに招待された。2007年には、ニューヨークのユダヤ博物館で行われた展覧会「Masters of American Comics(マスターズ・オブ・アメリカン・コミックス)」のアーティストのひとりに選出される栄誉を受けている。そして、特筆すべきシカゴ現代美術館をはじめ、様々な場所で個展を開催している。さらに『ザ・ニューヨーカー』誌は、『ジミー・コリガン』を新ジャンルにおける「初の公式な最高傑作」と評した。

それほどの評価を受けながらも、クリス・ウェアは決して謙虚さを失わない。『クインビー・ザ・マウス』の前書きを利用して「彼の言うことに耳を傾けるな」と忠告をする場合でも、読者をにこりと微笑ませるような表現をとりながらも、それが実は彼の心に深く根ざした謙遜の現れだということがわかる。クリス・ウェアが本誌インタビューについてメール交換で行うことを強く希望した理由も、その謙虚さによるものだ。「僕のばかさ加減から言って、対面形式のインタビューはしっくりこない」のだという。それが彼の思い違いであることを、ぜひ証明したかった!

ベルリンは現在、午後2時。天気のよい土曜日です。あなたは今日、作品づくりをしますか?

まず、このインタビューをこんな言い訳で始めることをお許しください。僕はその日、アテネで開かれていたコミック・フェスティバルにゲストとして参加していたので、質問にすぐ返信できませんでした。だけど、そのまま答えると「いいえ、その日は作品を描いていません」です。あなたがメールをくれた時、僕はアクロポリスの丘を登っていたと思います。ここへはテキサス大学で古代文明の授業を受けていた頃からずっと来てみたいと思っていました。途中、日焼けしたイギリス人に彼専属ツアーガイドの説明を盗み聞きしただろうと言いがかりをつけられてしまいました。そんなつもりはなかったのですが。そんな屈辱を味わった後、頂上に到着し、拙いながらもアテネ神殿の東側部分の絵を描きました。その周辺には修復工事のための石材が積んであり、警備員がその石に登ろうとする少年たちに向かって警笛を鳴らし続けていました。だからもしあなたが、アクロポリスでスケッチブックに描いた絵も「作品」であると考えるのであれば、そういうことになります。だけど自分ではそうは思いません。

神殿だけをスケッチしたのですか?それとも、その反抗的な子供たちの光景も含めて?

アクロポリスで日陰を見つけて、そこに2、3時間くらい座っていました。他の観光客も大勢、日差しから逃れる場所を探していたようですが、おそらく日陰はそこだけだったので相当迷惑な存在だったと思います。なんとなく冷たい視線を感じながらも、一度描き始めると動きたくなかったのです。ただ、描いた絵にそれだけの価値があればよかったのですが。僕は今後も、絵を学ぶことはないと思います。

座っていた場所の前には、分類か改修を待つ考古学資材が柵の中に山積みされていて、前述した二人の警備員が待機する金属製の見張り小屋がありました。また、パルテノン神殿に続くトロッコの線路もありました。それを使って様々な資材を運ぶのだと思います。アクロポリスの何年にもわたる修復工事は今尚続いていて、現存する建物の欠けた部分を新たに彫られた白大理石の資材で補修しています。この遺跡の幾層にも重なった歴史、長きにわたる放置と破壊。西洋的、そして近代的とさえ聞いて僕たちがイメージするものの起源が今、鮮明さを増して存在しています。そして、英国をはじめ他文化による無慈悲な略奪の跡も。僕はそこでの滞在中、1839年から1900年の間に撮影されたアテネの大判写真集を買いました。撮影された当時、街のほとんどの地区はアクロポリスよりも小さく、わずかな家と風車しかありませんでした。

スケッチを見せていただけますか?

ありがとうございます!幾層にも重なったものと聞いて、あなたがデザインしたダイアグラム形式のイラストが思い浮かびました。『ジミー・コリガン』の表紙のように。修復工事中の遺跡によって浮き彫りとなったような、近代化の矛盾と複雑さは、あなたの作品にとってどのような意味を持ちますか?

難しい質問ですね!大学生だった1988年頃なら説得力のある答えを返せたかもしれませんが、今はその手のことに頭が鈍くなっていて。ただひとつ言えることは、僕はマンガをシンプルかつ複雑に描きたいと思っているということです。絵はシンプルに、だけどストーリーやそのストーリーを語るヴィジュアル・ストラクチャーは緻密に絡み合うように。不格好かもしれないけれど、これには僕自身がどのように世界を見て、理解しているかが投影されているのです。僕の絵は活気がなくて、簡素で、面白くない。だけど、ストーリーは入り組んでいて複雑で、時には自己矛盾している。実際に僕は、自分の人生や行動を“書き直す”ことがあって、その嘘つき度合いにはいつも自分自身が驚かされています。だけど、リアルな世界の認識に問題があるわけではありません。少なくとも、高校生の頃からは。

THE NEXT MORNING…

遺跡の丘を登っていない通常の仕事日は、どのように過ごしていますか?

平日の朝は起きると、まず泳ぐか、その日が“妻の日”だったら娘のクララのために朝食をつくって幼稚園に行く仕度を手伝います。娘の自立心が育つにつれ、嬉しいような悲しいような、手伝いも楽になってきています。朝食後に時間があれば、一緒に遊んだり、幼稚園のレッスンをチェックしてあげたりします。その後、クララと妻を車で送っていきます。クララは幼稚園へ、妻のマーニーは学校へ。妻はシカゴの公立高校で美術と科学を教えていて、科学の学科長補佐も務めています。幼稚園へ向かう途中はほぼ毎日、クララにちょっとしたお話を聞かせます。数えると、もう数百話になるでしょう。昼間のふとした瞬間に、次の日のための話の筋書きや細かい内容を考えなきゃとパニックになることもあります。だけどほとんどの場合、マンガを描く時も同じですが、物語が進むうちに普段思いもつかないような様々なことが頭に浮かんでくるのです。

家に帰ると、“本当の”作品づくりを始めます。でも、その前にまずしてしまうことはメール・チェック。描く前に返信しておきたい性分なのです。ニューヨーク・タイムズ紙など、つい没頭してしまいがちな誘惑はもちろん回避します。8時30分に仕事を始められればよいのですが、上述の誘惑に時間を奪われて9時以降になってしまったら、自信がぐらつき始め、仕事日和だったはずの一日に陰りが見えてきます。当然、そんなシナリオはなんとしてでも避けますが。

幼稚園へ向かう途中で娘さんに聞かせるお話とは、どのようなものですか?実在の場所や人物が登場しますか?

絵本作家でアーティストのジェームズ・マーシャルが作ったキャラクター、ジョージとマーサという名前のカバを登場させています。クララが3歳の頃から気に入っているキャラクターなので、拝借することにしました。絵本の中ではジョージとマーサは同じ年齢で、“親友”同士です。だけど僕たちの物語では、ジョージは子どもでクララの隣の家に住んでいるという設定。他にも色々な動物のキャラクターが、ジョージやクララのクラスメイトとして登場します。マーサはどちらかというと母親的存在。クララが物語の主人公で、たとえば様々な場面でジョージがよい子になるための手助けをします。

動物のキャラクターがたくさん出てくる以外、基本的に僕の“お話”は自然主義です。マーシャルの絵本には、仲良し二人の間に長い付き合いだからこそ生まれる心温まるようなイライラが描かれているのですが、そこから大まかなヒントをもらっています。ちなみに僕は、二人のメイン・キャラクターにブルックリン訛りで喋らせています。クララから「ジョージとマーサの話をして」とせがまれるのが習慣になっていて彼女はそれを何よりも楽しみにしているのですが、実は僕もクララを笑わせることにある種の達成感を感じています。まさかでたらめな物語を作るのが親の仕事だなんて思ってもみませんでしたが、今ではそれが親として必要不可欠ましてや本質的な要素だと考えるまでになりました。おそらく数千年前から、もしかすると進化の過程で必要が生じて僕たちの思考と行動に組み込まれてきたのでしょう。むしろ架空のキャラクターや場面を即興で作ったことがないパパママには出会ったことがありません。お話の時間は就寝前のほうが一般的なようですが、娘と僕は、夜は別の作家の本を読むことにしています。

最近、夜になると読んでいるのは、ローラ・インガルス・ワイルダーの本(『大草原の小さな家』シリーズ)です。この本には、時に生々しく残酷な描写があり、ドキリとさせられます。僕が子どもの頃の番組で、今はホールマーク・チャンネルで再放送されているキリスト教のプロパガンダかのようなテレビシリーズもありますが、それとは違い、小説には感情的な部分や不誠実な部分が少しもありません。ワイルダーの小説は、ロシアの児童文学に近いような気がします。地球上で人類が享受できる幸せと安全が限られたものであるという意識とともに綴られた鮮やかな文章です。

私の知る限り、インガルス・ワイルダーはそもそも児童向けに書いたわけではないようです。あなたは、子供も大人も物語のとらえ方は同じだと思いますか?

インガルス・ワイルダーに関しては同じだと思います。ちなみに彼女の娘のローズ・ワイルダー・レーンが執筆のきっかけを作り、編集にも携わっていたことは周知の事実ですが、定番の仮説としては、母親が内容を全て考えて執筆自体を行ったけれど、ローズが最終的に体裁を整えていたようです。実際にローズは、両親が経験した苦労について本を数冊執筆しています。反面、少し気になるのが、ローズが自由主義思想に影響を及ぼした人物だということ。僕のような民主党員は、複雑な気分になります。ただ、そうは言っても、100年前の共和党員と、現在の憂慮すべき共和党員とは全く違うのですが。

質問に戻ると、娘が僕と同じように物語を理解しているか疑問ですが、それを言うと米国の鉄道システムや平原の農業がいかに発展してきたかに興味がある人は、僕たちとはさらに違う読み方をするでしょう。でも、クララが物語から導き出すものに驚かされることがよくあります。この物語を読むと、人々が用いてきた根本的な生活の術について、西部開拓時代や恥ずべき先住民族迫害の歴史について、そして何よりも大勢の人が集まって街を形成していった当時の様子が実によくわかります。それに、何気ない日常の細部にまで目を向け、問題意識を育むきっかけを与えてくれます。いつかエブリマンズ・ライブラリーかライブラリー・オブ・アメリカが、あえて大人向けに1、2巻ほどの全集として出版してほしいですね。ハリー・ポッターが大人にも読まれているこの時代、インガルス・ワイルダーがトルストイと同じ価値をもって受け入れられてもおかしくないでしょう。

Translated by Yuko Mori

Being Erik Spiekermann


An older interview with type designer Erik Spiekermann.

MONO.POSITION #04: DIARIES

Dear Friends,

our first project in 2012 is kind of an unusual one for us, but then again, we feel it’s about time – all too often we get asked about all these ‘other mono’s’: What is mono.graphie? And really, you run a fashion label? Well yes, kind of. Truth is: Our publisher, Kai von Rabenau, is a photographer in his other life, and has been running his studio under the name of mono.graphie since 2001. And mono.gramm is our ‘joint venture’ womenswear label since 2009 and specialized in dresses, that we help with the art direction and organization and special projects and general advice and hand-holding. What all these projects have in common is a shared philosophy and approach – hence the mono in all our names – applied to different media.

Anyway, when we were invited by the lovely Palette Gallery in Tokyo for an exhibition, we thought it’s a good opportunity to bring together these different activities and present them all in one space, since they come from the same studio as well. It’s kind of an experiment for us, which makes it all the more exciting of course, and anyway, like we said, it’s about time.

And thus, we will be showing an overview of mono.graphie’s photography practice, showcasing a selection of editorial, fashion and personal work, extracting a palette of colour and atmosphere from daily life; whereas our womenswear imprint mono.gramm will give a sneak peek into its playful light-handed approach to fashion design, and mono.kultur, of course, will display the first 30 issues of our uniquely popular interview format.

So if you happen to be in Tokyo next week, please feel free to join us for drinks and insights, accompanied by a conversation between Kai von Rabenau and Hiroshi Eguchi of Utrecht. And if you are not, but know someone who is, then make sure to share the invite for a hello and kampai!

All our best,
mono.kultur

–––

mono.position #04
Kai von Rabenau / Diaries
mono.graphie / mono.gramm / mono.kultur

03 – 17 February 2012
Opening / 03 February 2012 / 18 – 20 h
Talk / 18 h 30 / Kai von Rabenau & Hiroshi Eguchi / Utrecht

Colorworks Palette Bldg
1-14-2 Higashi-Kanda
Chiyoda-Ku
Tokyo

MONO.CONTRIBUTORS #05: STUDIO8

We’d been wanting to work with London’s Studio8 for quite some time but never quite dared to ask – after all, they’d ascended into the top league of editorial design a few years ago, with titles such as our favourite Port magazine (which they co-publish) or the indispensable illustration/design bible Elephant to their name, and contributing to the redesign of The New York Times Magazine or The New Yorker. But when our current issue with Chris Ware finally was ready for production, we summoned our courage and dropped a polite email to Studio8’s co-founder Matt Willey, who, luckily for us, instantly said yes.

And we couldn’t have thought of a studio more appropriate for Chris Ware’s unique style drawing, with Studio8’s trademark elements all firmly in place: illustrative typography, a sensibility for paper and materials, a thoughtful approach to the magazine as object, and a playful sense of humour. It was a wonderful and easygoing collaboration – let’s do it again soon!

MURDER IS MY BUSINESS

Weegee is having quite a moment. Right on the heels of the new West Coast Weegee exhibition Naked Hollywood: Weegee in Los Angeles, the International Center of Photography has put up a new show called Weegee: Murder is My Business. Focusing on the pioneering photographer’s most productive decade, between 1935 and 1946, Murder is My Business showcases the gritty, rough, and utterly arresting images that defined an tabloid sensibility for decades to come. These are tremendous photographs, showing Weegee’s innate understanding of how composition and tone can both document and manipulate. They also make clear how far tabloid  photography has fallen.

Weegee: Murder is My Business
January 20 – September 2, 2012
The International Center of Photography
1133 Avenue of the Americas
New York

Anthony Esposito, booked on suspicion of killing a policeman, New York, by Weegee

TONIGHT: HUMBOLDT MEETINGS III

Born in Warsaw (1966), trained in Grzegorz Kowalski’s legendary workshop at the Warsaw Academy of Fine Arts, Artur Żmijewski has been a leading figure of video art since the end of the nineties through a striking series of short works which display the crushed condition of the Western body in our inhuman societies.

He achieved international recognition with the Singing Lesson (I) at the 2002 Frankfurt Manifesta and with Repetition at the 2005 Venice Biennale, a powerful metaphor of our regressive democracies in which the state of exception has become the rule, according to Benjamin’s terms, which Agamben has made famous. Artur Żmijewski is curating the 7th Berlin Biennale for Contemporary Art which is to open soon (April 27 – July 1, 2012).

Artur Żmijewski continues the artist-talk series HUMBOLDT MEETINGS, to which Christoph Hochhäusler (12 December 2011), Angela Schanelec (10 January 2012), Anne Tismer (31 January 2012), Harun Farocki (NEW DATE:  7 February 2012), and Thomas Ostermeier (15 February 2012) have been invited to open discussions at the Department of Art and Visual History at the Humboldt University of Berlin.

The dialogue series is organized by Régis Michel (Rudolf Arnheim Visiting Professor 2011/12) and Katharina Lee Chichester

HUMBOLDT MEETINGS III
Invitation to an open discussion with Artur Żmijewski
Podium guests: Charlotte Klonk and Piotr Piotrowski
Tonight, January 23, 2012, 8 pm
Humboldt-University of Berlin
Dorotheenstraße 24, Room 1.101

With the kind support of Carolin Behrmann and the students of the seminars

HUMBOLDT MEETINGS is realized by the Department of Art and Visual History at the Humboldt-University of Berlin.

MONDAY MUSIC: BOYS NOIZE & EROL ALKAN

Bicycle tricks and a bit of oomph for a rainy Monday morning, and why not to get us going for another week of January grey?